30代から「そううつ娘&ぱに娘」が住んでいる

仕事が好きすぎた女の                      自爆型精神障がいの暮らし

7:住むところがない大学生時代④

彼氏が3回生→4回生になれなかった。

彼は実家から大学に通うことになった。

 

私も実家に戻ろうかと思ったけれど、

両親が離婚して

父が再婚していたこともあり、

「帰りたくない」

ってことで、

大学の部室に泊まり始めた。

 

少し経ち、吹奏楽団に

1回生が入団してきて

「もしかして先輩泊まってます?」

と言われた。

 

さすがにバレるよね。

 

1回生が15人弱。

何人かが下宿していて、

そのうち3人の下宿先に

泊めてもらっていた。

 

そのうち彼氏とは別れ、

下宿生の1人と付き合い始めた。

 

生活していくためにバイトをかけ持ち

吹奏楽団で指揮

外部の演奏会の指揮

(客演指揮人の下振り)も務め、

教育実習にも行き、

卒業研究にも励んだ。

 

知らず知らずのうちに

イライラすることが多くなっていった。

 

生理前以外にもイライラするため

時々、市販薬を飲んで過ごしていた

 

 

 

✴︎大学生時代⑤✴︎につづく

 

 

 

 

 


 

6:できちゃった大学生時代③

3回生のときに思わぬ妊娠

 

両親が離婚したこともあり、

母親→親権を持つ父親の順番に報告した。

 

母親からは、

もちろん、産むんやろ?

と言われ、安心した。

 

父親からは、

教員免許を取るために

 大学に通ってるんやろ!

と言われ、

吹奏楽団で幹部指揮者だったという

立場も考え、おろすことにした。

 

手術前日処置の前も、

手術当日手術の後も、

吹奏楽団に参加し、指揮を振っていた。

 

今あるものを崩してはいけない

他の人に迷惑をかけてはいけない

と必死だったように思う。

 

まぁ、自業自得だけど。

 

 

 

✴︎大学生時代④✴︎につづく

 

 

 

 

5:親が離婚した大学生時代②

大学に入り自治吹奏楽団に入団し、

同じ楽団の人とお付き合いをして

1回生の6月から同棲を始めた。

 

両親からは、

自分たちで生計を立てるなら

 同棲しなさい

と言われたこともあり、

大学からはひらかたパーク

チケットオペレーターでバイトを始めた。

 

2回生のときに両親が離婚した

私は同棲していたので、

親から電話で聞かされた。

離婚の兆候はあったので

特に驚くこともなかったけれど、

家にいる2つ下の弟のことは気にかかった。

どうすることもできなかったけれど。

 

 

 

✴︎大学生時代③✴︎につづく

 

 

 

 


 

4:感情の起伏が激しかった大学生時代①

小学生時代から先生になりたくて、

国公立大学を受けて落ちたの。

 

少し自暴自棄になったけれど、

高校の先生の

どこの大学出身でも

 先生になったら一緒。

 人間性や教科の教え方が大事

という言葉を信じて、

教員免許が取れる近くの私大を受けたの。

 

結果、特待生で入り

国公立大学と同じくらいの授業料で

4年間を過ごした。

 

数学の教員を目指していたので

理数系の私大に通った。

私の所属していた学科は

250名いて、女の子は6名。

 

少し戸惑ったけれど、

サバサバした性格の私は

男の子が多くいる環境でも

快適に4年間を過ごすことができた。

 

また、吹奏楽をやっていたことから

大学でも自治吹奏楽団に所属。

4年間続けることができた。

 

大学4年間は

自分にも、家庭にも

さまざまなことが起こり、

感情の起伏が激しかったように思う。

 

✴︎大学生時代②✴︎につづく

 

 

 

 


 

3:束縛が続く高校生時代

普通科」という名前が嫌で

(たぶんこの頃ひねくれていた)

総合学科」の高校へ首席で入学。

 

変に首席で入学したせいか、

定期テスト、実力テストで

いい点数をとれるように勉強していた。

 

小花美穂さんのマンガ

「アンダンテ」に出てくる主人公に憧れ、

サックスプレイヤーの部長を目指して

吹奏楽部に入部した。

 

そして、携帯代を自分で払うために

マクドナルドでバイトを始めた。

土日祝はバイト→部活

 

中学生時代と同じで、時々

すごく気持ち悪くて

吐きそうになる日があった

 

中学生時代のように

お母さんに迎えに来てもらうわけにはいかず、

遅刻や早退を繰り返していた

 

今思うと、

  • 成績をキープしなければならない
  • 部長としてしっかりしなければならない
  • バイト先でできる限り早く仕事を覚えていかなければならない

 

『〜しなければならない』

ということに縛られ、

中学生時代と同じで

さまざまなことに対して

完璧にこなそうとしていたように思う。

 

 

 

 


 

2:束縛に出会った中学生時代

2:

幼稚園、小学校では

特に目立った兆候はなかった。

 

中学生になり、

成績で人と比べるようになった

比べるものじゃないと思いつつも

比べてしまっていた。

 

周りは塾に通い始め、

差をつけられまいと

毎日勉強した。

 

委員や係、行事では

リーダーをすることが多く

その役割を責任感を持って楽しく務めていた。

 

そんな毎日を送る中で時々、

すごく気持ち悪くて

吐きそうになる日があった

 

一人で帰られないと先生に伝えると

お母さんが仕事を早退して

迎えに来てくれていた。

 

今思うと、

  • 成績をキープしなければいけない
  • 委員や係のリーダーをきちんとしなければいけない

 

『〜しなければならない』

ということに縛られ、

さまざまなことに対して

完璧にこなそうとしていたように思う。

 

 

 

 

1:「そううつ娘&ぱに娘」だよ

2019年度から

今は寛解に向けて治療してるの。

 

今思えば

診断される前も症状は出てたなと。

 

早く気づいて対処していれば

ここまでなってなかったのかな、と

今は思う。

 

今までの私の生活をブログに書いて

私と同じような人を救う手助けになれば

と思い、ブログを立ち上げたよ。

 

興味がある人は読んでね。

また、私と同じような人を見つけたら

声をかけてあげてほしい。